山形県 山寺 立石寺の観光と温泉・宿、おみやげ品を紹介しています。

山寺 立石寺の拝観と観光


山寺
石段を登り、登り詰めると終点 奥の院(如方堂)が現れます。
向かって右側のお堂、薄暗いお堂の中には祝言の絵額、お供えの品々、御朱印帳、花嫁人形など、ご本尊の釈迦如来と多宝如来の前に雑念と置かれています。
立石寺
早く亡くなった子供のために結婚式を挙げたことにして、絵を描いてこの寺、奥の院に納める。
「ムサカリ(結婚式のこと)絵馬」と云うそうですが古びた絵額には白無垢の花嫁とご両親、紋付袴の花婿さんとご両親が、向かい合いお辞儀をして処や、提灯を持った人に導かれて行く花嫁さんの行列などが描かれていました。
見慣れた一般的な堂内の風景と違い初めて見る光景に少し腰が引ける思いでした。
立石寺
親の子を思う、その思いの深さは同じ子を持つ親として理解できるものでしたが、やはり、、、悲しすぎました。
山寺には、いたる処に亡くなった人の戒名を書いた後生車や卒塔婆がたてられ、岩壁には刻まれた岩塔婆、墓碑など至る処に納められています。このような習慣は「死後の魂は山寺に還る」と云うこの地方独特の庶民信仰なのだとか、
山寺
霊場としての性格を今なお、色濃く残している山寺。
石段を登ると感じる筈です。
観光地ではなく、霊場 霊山、、、、と。
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山寺
私にとって山寺と云えば景色より、やはりこの句がイの一番に思い起こされます。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
決して読書好きな子では無かったけれど、この句は小学生の頃から知っていました(当り前か、、(笑))
山寺のガイドさんが、せみ塚の前でこの句を読み上げた時、ひとりのオジサンが「蝉の声はどの岩に沁み込んだのか?」と言ったとか、
あまりに真剣な眼差しで、思わず右手を指さし、ガイドさん「あの岩です」と、、、、云ったとか。。

昭和初期に歌人斎藤茂吉と芭蕉研究家小宮豊隆との間で激しい「蝉論争」が繰り広げられたそうです。
蝉の声は、茂吉はアブラゼミ、小宮はニイニイゼミと主張。
山寺
実際に山寺に入って調査が行われその結果、芭蕉が山寺を訪れた5月27日 (新暦7月13日)頃、鳴き出しているのはニイニイゼミで、山寺界隈では、この時期はアブラゼミは鳴かないという事が判り茂吉が敗れ一件落着。
参道を登りながらニイニイゼミを聞き、芭蕉や曽良に思いをはせるのも、いいかも。
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