山寺(立石寺)円仁ゆかりの入定窟を紹介しています。

入定窟

天台宗三代 慈攪大師円仁は京都比叡山で亡くなったと云われていますが、 山寺では山寺山内のこの岩窟に入定して亡くなったとしています。
開山堂、納経堂の真下にある断崖窟です。
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昭和23年(1948年)から翌年にかけて入定窟の学術調査が実施され、 金箔押しの木棺と人骨5体分、円仁像と思われる頭部のみの木彫像などが発見されました。
この木彫像の頭部については、目鼻立ちなどの特色から円仁像であることは認められ、 作風からも9世紀頃の制作であると認められています。 この彫刻は鑑定では平安時代初期の作品とのことです。
入定窟がある断崖窟ですが木々に覆われ中々見つける事が出来ませんでした。
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